第四話 「飛沫」

 

「・・・昨日、先生に頼まれて綾波の家に行ったんだ」

「「な、何〜〜〜!?」」

二人の声が見事にユニゾンする。

「ホ、ホンマか?それでどないしたんや?」

「い、いや、どうしたって聞かれても・・・」

身を乗り出して迫ってくる二人に僕はたじろぐしかなかった。

二人ともなんか眼が怖いし・・・。

「・・・碇、事と場合によっては由々しき事態になるぞ」

(うう・・・ケンスケ、怖いよ・・・)

「え、あ、あの、ええっと・・」

「ワシはお前を殴らなアカン。殴っとかな気が済まへんのや」

トウジが拳を鳴らして迫ってくる。

(トウジ・・・目が据わってるよ・・・)

「ふ、二人とも、なんか勘違いしてるよ!」

(早く、早くこの危険な状況から抜け出さないと!!!)

「た、ただ先生に手紙届けて欲しいって言われて行っただけだって!」

「・・・で、そのまま綾波の家に上がりこんであんな事やこんな事したんだな?」

ケンスケの攻撃がひるむことはなかった。

「なにぃっ!?センセホンマにそんなことしたんかいっ!!」

「だから違うって言ってるだろ!それに何だよ、あんな事って・・・」

「シンジ、お前もわかってるだろ、お子様じゃないんだからさ」

ケンスケの眼鏡が今一度光を放つ。

「そんなことする訳ないだろ!!手紙渡して少し話しただけだよ!」

僕は真っ赤になって否定する。

二人ともようやく理解したのか、もしくはからかうのに飽きたのか大人しくなった。

「ちっ、面白くないなぁ」

「せやけどセンセも男ならやる時はやらなアカンで。据え膳食わぬは男の恥ってな」

「はぁ・・・何だよ、やる時って」

僕は思わずため息を吐く。

「ま、からかうのはこのぐらいにして、と」

「せや、どうなんや?センセ」

「ど、どうって?」

ようやく落ち着いて弁当を食べようと思ったらまた二人の攻撃が始まった。

「とぼけるなよ、お前はあ・や・な・みをどう思ってるんだ?」

「うっ・・・」

落ちそうになった箸を慌てて押さえる。

「セ〜ンセ、顔赤いでぇ」

二人ともにやにやして僕を覗き込んだ。

「そ、その、綾波のことは、そりゃ、き、綺麗だと思うよ」

「そうじゃなくてだな、俺達が聞きたいのはお前の綾波に対する想いなんだよ」

(く、ごまかせなかったか・・・)

僕は心の中で悪態をつく。

「はよ言わんかい。男ならはっきりせなアカン」

「あ、え、え〜っと、その・・・そ、その、す、好き、だと思う・・・」

改めて口にした僕は真っ赤になって俯いた。

自分の顔がどれだけ赤くなってるか最早見当がつかない。

それほどまでに頬は熱く火照っていた。

「よう言った!安心せい。ワシらも協力するさかい」

ばん!と僕の背中を叩きながらトウジは言う。

(あの、協力って・・なんかかえって駄目になりそうなんだけど・・・)

もちろん口には出さない。

代わりにため息でごまかす。

ようやく落ち着いた僕はまだ三分の一も手をつけていない弁当に取り掛かった。

「と、こ、ろ、で、そんなシンジ君にプレゼントがあるんだけどな」

ケンスケがこっちを見て妖しげに笑っている。

(コイツ、なんか怖い・・・)

まるで面白いおもちゃを見つけたような笑い方に、僕はそう思わずにはいられなかった。

はぁ、何かでもない奴に目をつけられちゃったな・・・。

「・・・プレゼントって何?」

少し不機嫌に答える。

そんな僕に構わずケンスケがポケットの中からケースを取り出した。

プラスチック製と思われるその黒いケースは透明がかっていたが、中身が見えるほどではなかった。

「お、ケンスケ、あれかいな」

「なんだよ、あれって」

トウジの理解した口ぶりが気になる。

と、ケンスケがおもむろにケースから一枚の写真を取り出して僕の目の前に突きつけた。

相変わらずにやにやしながら。

「じゃ〜ん、どうだ?」
 

僕の目の前には憂いを含んだ蒼銀の髪の少女の姿があった。

弱い風が吹いたためその写真がひらひらと揺れる。

その透き通るような白い肌、遠くを見つめる切なげな表情に僕は思わず見とれてしまった。

「綺麗だ・・・」
 

どうやら知らないうちに声に出して言ってしまったらしい。

トウジがにやにやしながらこっちを見ていた。

それに気づいた僕は慌てて我に返る。

「だろ?これは俺のベストショットなんだぜ。特別にお前にはくれてやるよ」

ケンスケはそう言って僕に写真を渡してくれた。

自分の手の上にあるその儚げな少女に、再び僕は心を奪われる。

「ラッキーなやっちゃのう。普通だったら500円はするで」

トウジの声が遠くから聞こえるような感じだ。

(綾波・・・綺麗だ、でもなんでこんなに悲しそうなんだろう。綾波、綾波・・・・)

今僕の視界には彼女の写真しかなかった。

「あ〜あ、コイツ、完全にイッちゃってるよ」

・・・何分ぐらい経ったのだろうか。

自分が写真を見たまま固まっていたことに気づいて目をあげると、案の定二人とも呆れ顔で僕を見ていた。

「・・・・・・え、あ!あ、ありがとう。ケンスケ」

またトリップしていたことが恥ずかしかった。

「ま、いいってこと。でもこれからは通常価格で買ってもらうぜ」

「お前はホンマ商売上手やのう」

「ま、こうでもしないとレンズ代がなかなか稼げないからな」
 

話を聞くとケンスケは相当カメラに熱を入れているらしい。

学校の美少女の写真を売りさばいて小遣い稼ぎだとか。

「せやけど、シンジ。はよ飯食わんと昼休み終わってしまうで」

「え・・・あ!」

トウジの忠告に僕は自分の弁当を見た。

なんとまだ三分の一も進んでいない。

慌てて箸を取り食べ始める僕を見て、二人はほどほどあきれ果てていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

その夜もなかなか寝付けなかった。

薄く差し込む月の光に、風で揺れるカーテンの影が踊る。

夏にしては涼しげな夜風が心地よい。

だけどそれでも僕は眠れなかった。
 

何故眠れないのかは判っている。何故こんなにも苦しいのかも。

僕は今、はっきりと綾波に好意を抱いている。

でもそれを自覚すればするほど、僕は自己嫌悪に陥ってしまう。

(僕は・・・人に恋愛感情なんて抱いちゃいけないのに・・・)

自分自身を許せない人間が人を好きになんてなっちゃいけないはずだ。

(それなのに、僕は・・・)
 

腕を額へ乗せ、寝っころがったまま目を瞑る。

不意に僕の鼻がある匂いを捕らえる。

もうその匂いに対する感覚も虚ろなものになってしまった。

ゆっくりと手のひらで顔を覆う。

やけに鉄くさい、どろっとした匂いが僕の手から伝わってくるような気がする。

もう10年もこの匂いにさいなまれ続けてきた僕には、諦めるしかなかった。

(はぁ、取れないや・・・血の匂い・・・・・・・)
 
 
 
 
 
 
 

僕はこの手で人を殺してしまった。

たとえそれが止むを得ない事態だったとしてもそれは許されるべき事ではない。

こんな僕に、人を好きになる資格なんてないのに。

血にまみれてしまった・・・あの時から・・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

―――10年前
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

その日は母さんのお葬式があった。

柔らかな春の日差しに見送れられて霊柩車が視界から消える。

涙でぼやけた視界に残ったものは、ただ立ち尽くしている僕と父さんの足だけ。

しかしそれも溢れくる涙ですぐに見えなくなった。

どれだけ泣いても涙は止まりそうもない。

「シンジ、いい加減泣くのはやめろ」

父さんの声はとても冷たい。

「っぅく、何で?何でさ!?父さんは悲しくないの!?」

泣きじゃくりながら言い返す僕の目に映ったものは、とても悲しそうな父さんの顔だった。

いつもつけているサングラスが今日はない。

「悲しいのはわかる。それは私も同じだ。

だが悲しみの囚われ、泣いていてもユイは帰って来ない。

だから泣くのはやめろ。そして私達がしなければいけないことを考えろ」

ゆっくりと、しかし断固たる口調で父さんの唇が動く。

「・・・さあ、帰るぞ」

父さんが踵を返すそのとき、一瞬目に涙が浮かんでいるのが見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、あの時を境に僕の時は止まる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

母さんの葬式が終わり、二人で駅へ向かう途中のことだった。

雑踏のにぎやかな声と雰囲気のせいで、僕は父さんとはぐれてしまった。

ちょっと前を歩いていたはずなのにもうその姿はどこにもない。

「・・・父さん?どこ?」

後ろを振り返るがそこにはもちろん父さんの影さえ見当たらない。

キョロキョロとあちこちを見回すことに夢中になっていたのだろうか。

突然目の前に大人の足が現れた。
 

どんっ!
 

「あぶねぇな、気をつけろボウズ!」
 

ロン毛の20歳ほどの男がわめく。

僕は怖くなって目に涙を浮かべた。

もうだんだんと暗くなってきている。

街は相変わらずにぎやかで、きらびやかな照明が灯っているので不自由はない。

だけどその造られた光が僕には無性に寂しくて。

父さんとはぐれたことに加え、そのことで僕は今にも泣き出しそうになる。

その瞬間、僕は腕を誰かに掴まれた。

「!父さん?」

叫びながら振り返った僕の視界にいたのは、期待した人物とは全く違う人間だった。

中肉中背、妙に顔が脂ぎっている男。

年はまだ18といったぐらい。

不意に僕はその男に路地裏に連れ込まれた。

僕の腕を引っ張りながらもその男は虚空を見つめているようだった。

何もしゃべらない、そのことがより僕の恐怖心を掻き立てる。

「!!いやだ!はなしてよ!!!!」

抵抗しながら必死に叫ぶが、男の力はとても強く僕はただずるずると引きずられていく。

僕の叫びも騒がしい雑踏にはまるで聞こえないようだった。

そう、誰も僕を気にかける者はいなかった。

僕の口に手をあてて引きずりながら通行人から見えない位置まで来ると、

その男は持っていた鞄から何か取り出す。

布にくるまれていて何なのかは判らなかったが、恐ろしいものであることは間違いないであろう。

(助けてよ・・・誰か、父さん、助けてよ!!!)

恐怖で足ががたがたと震える。

今にも腰が抜けてその場に崩れ落ちてしまいそうだ。

男の手に持たれた物の布がしゅるしゅると音をたてて落ちていく。

と、同時に路地裏の薄暗い中で、『それ』がキラリと冷たく輝いた。

しばらく『それ』を無言で見つめていたが、男は僕の顔を覗き込んで初めて表情を変えた。

今までずっと無機質で濁っていたその瞳が突然狂気に変わり、おぞましい笑いを浮かべている。

「ん、んーーーー!んーーー!!!!」

必死で叫んだが、抑えられた口から出たのはくぐもった弱い声。

男は僕の背後に回り、後ろから抱え込むようにして僕を押さえつけ、冷たい『それ』を喉に近づける。

雑踏は依然にぎやかなまま。誰も僕に気がつくものはいない。

はぐれてしまった父さんも僕の居場所はわからない。

今、薄暗いこの世界に存在しているのは、僕と、男と、白く光る包丁だけだった。

雑踏のから聞こえてくる音も、恐怖で真っ白になっていく僕にはだんだん聞こえなくなる。
 

「はぁ・・はぁ・・・・」
 

男の激しい息遣いが耳元で聞こえる。

怖い、恐ろしい。

どうしようもない恐怖に支配され、僕は思わずきつく目を閉じる。

「はぁ・・はぁ・・・・まずは、その腕からだ・・・・・」

男の低い、嫌な声が聞こえたかと思った瞬間。

「!んむーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

左腕に冷たいモノが突き刺さる感触とともに激痛が身体じゅうを駆け回った。

あまりの痛みに涙が幾筋も流れる。

目を開けると包丁が左腕にずぶりと刺さっている。

どくどくと溢れかえる鮮血。

男は相変わらず激しい息のままそれを嬉しそうに見ている。

腕から流れる大量の血液を見て僕の頭がスパークした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

・・・このままじゃ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

殺される
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ころされる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

コロサレル・・・・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「んーーーーーー!!!んーーー!!んーーーーーーーーー!!!!」
 
 
 
 
 

僕は左腕に刺さっているそれを無理やり引き抜き滅茶苦茶に振り回す。

予想外の行為に男は驚き慌てて包丁を奪い返そうとしたが、片手が僕の口元にあったので対処しきれなかった。

「っは!うわぁあぁぁあああああああああああ!!!!!!!」

口を押さえていた手を振りほどくと叫び声をあげて男に包丁を突き立てる。

相変わらず左腕からは血が流れ続けているが、痛みは何も感じなかった。

いや、感じる余裕がなかったのだ。

「ひ、ひっぃいいい!!?」
 
 

ドグシュっ!!
 
 
 

防御する間もなく、男の腹にネオンが反射する『それ』が突き刺さる。

刺した場所が丁度僕の顔の高さだったため、返り血で僕の顔を含め全身が真っ赤に染まった。

「ひぃっ、ひっ・・ひっ・・・・ひぃあああああああああ!!!!!」

痛みと驚愕で歪んだ男の口から悲鳴が上がる。

それでも僕を押しのけようと力をこめたらしい。

だがそれよりも一秒先に、僕は全体重をこめて男に突っ込んでいた。

身体の小さい僕の突進でも、腹を突き刺された男には効いたようだ。

男とともに僕はもんどりうってひっくり返った。

その衝撃でそばにあるゴミ箱が音をたててぶち撒けられる。

すぐ起き上がって倒れている男を見ると包丁がすでに腹を貫通しており、呼吸もできないようだ。

ただぴくぴくと痙攣している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

極度の緊張と恐怖感から解き放たれた僕に、目の前の惨状が映る。

溢れかえる血液、仰向けに転がった死体に突き立てられた一本の包丁。

そして何より、身体全体が真っ赤に染まっている自分自身・・・・。

「う、うわぁぁぁあぁああああああああああああ!!!!!」

僕はそのまま気絶してしまった。

左腕から流れ続ける血にも気づかずに・・・。

全ての光と音と色が頭の中で混ざり合いながら・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


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