第三話 「戸惑いの中で」

 

カーテンの隙間から入ってくる朝の光を瞼の裏で僕は感じた。

(・・・朝、か)

目覚ましはまだ鳴ってない。

設定した6時までにはまだ時間がある。

(もう少しだけ、眠ろう・・・)

そう思った瞬間、僕は甘美な二度寝の世界へと堕ちていった。

・・・

30分後、容赦なく鳴り響く目覚ましを止めると僕はベッドから這い出る。

眠い目をこすりつつ洗面所へ向かった。

蛇口をひねり冷たい水で顔を洗い、頭を覚醒させる。

(さて、と。お弁当つくらなきゃな)

そう思いながら部屋に戻ると制服に着替える。

いつもどおりの日常。

弁当を作り、パンとミルクティーという軽い朝食をとる。

そして父さんの分の朝食を用意しておく。

父さんが起きてくるのは8時だから朝に顔を合わせることはまずなかった。

今は7時。あとは鞄に今日の用意を詰めて学校に行くだけだ。

だが、弁当を鞄に入れる瞬間に、ふと昨日のことを思い出す。

僕からしてみれば、非日常的すぎた昨日を。

(綾波・・・か)

(一人暮らしだって言ってたけど、綾波はお昼とかどうしてるのかな)

なぜか彼女のことが気になる。

(やっぱり、僕は彼女のことが・・・好き、なのかな)

顔が赤くなるのを感じながら、僕は鞄をつかむと玄関へと向かった。

「行って来ます」

ドアに鍵をかけると僕は学校へと歩いていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

教室に入るとすでに5、6人の生徒が登校していた。

僕は視線を自分の席の方に向けた。

そこには、静かに本を読んでいる彼女の姿がある。

(よかった、今日はもう大丈夫だったんだな)

僕は自分の席につくと隣を向いた。

「お、おはよ、綾波」

綺麗な紅い目が本から僕に移動する。

「・・・おはよう」

小さく動く唇に思わず僕は釘付けになる。

慌てて我に返った僕は彼女に尋ねた。

「あ、あの、もう大丈夫なの?」

「ええ」

「そ、そっか、よかった」

これ以上話すこともないので僕は自分の机に向き直った。

彼女もさっきの本の続きに目を落とした。

クラスにいた生徒達が声をひそめて話し合っていた。

 (おい、今の見たか?)

 (あの綾波が碇としゃべってたぞ!)

 (碇君っていつも全然しゃべらないのにね)

 (無口同士で気が合うのかしら)

 (・・・くっそ〜〜〜〜、俺の綾波〜〜〜〜〜〜〜〜)

様々なコトバと思惑が飛び交う。

僕はさっきの綾波の唇で頭が一杯だったからクラスの異様な雰囲気に全然気づかなかった。

(綾波の唇、可愛かったよなぁ。あんな風に綺麗に動くんだ)

(やっぱり、柔らかいんだろうなぁ・・・)

(・・・って何考えてるんだ、僕は!!これじゃあただの変態じゃないか!)

無理やり彼女の唇を意識から締め出す。

この年頃の少年なら当然の反応だとは思いつつも

(はぁ、僕ってサイテーだ・・・)

僕はため息をつくと顔を机にうずめた。
 
 
 
 
 
 
 

その日の授業はほとんど耳に入らなかった。

どうしても隣を意識してしまう。

窓際だからか時折彼女の甘い香りが僕のところまで届く。

そのたびに僕は別のことに頭をフル稼働させていた。

今日の夕飯は何にしよう、とか、今日は面白いTV番組あったけな、とか。

そうでもしてないと自分を抑えられそうもなかった。

(しっかし、)

僕は思う。

(たった一日ですごい変わり様だな、僕)

(全く他人に興味がなかったのに、今じゃ綾波で頭がいっぱいだ・・・)

ちらっと隣に目を走らす。

彼女は静かに黒板の字をノートに写していた。

(やっぱり僕は綾波のことが好きなんだよなぁ)

今更ながら僕は思う。
 

・・・最早授業のことなど頭に入るはずもなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

昼休みになり、弁当の包みを開けようとした時、僕の前に二人の男子生徒が現れた。

「よう、碇、ちょっといいか?」

眼鏡をかけたほうの男子が話しかける。

「あ、え〜と、相田君、それに鈴原君も。何か用?」

この二人に限らず、僕はクラスの人とそんなに話をしたことがなかった。

だからいきなり話しかけられて少し戸惑った。

「俺のことはケンスケでいいって」

「ワイもトウジでええ。苗字で呼ばれるんはかたっ苦しくてかんわ」

ジャージを着たもう一人も言う。

「あ、わかったよ。僕もシンジでいいよ」

「よし、じゃあシンジ。ちょっと聞きたいことがあるんだけどな」

「何?」

(何だろう?)

僕は疑問に思った。

新学期が始まってから3ヶ月経った今更、僕に何を聞きたいんだろう。

「あ、いや、ここじゃちょっとさ」

そういうとケンスケは眼鏡のズレを直した。

「・・・屋上で、飯でも食いながら話そうぜ」
 

心なしか僕には彼の眼鏡が光っているように見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 

屋上へ着くとケンスケは周りをキョロキョロと見回した。

「え〜っと、いいとこないかなっと・・・」

「お、ケンスケ、あの給水塔の裏なんかええんちゃうか?」

トウジが指差すところはあまり生徒が来ない場所だった。

「ナイストウジ。あそこなら日当たりもよさそうだな」

そう言うとケンスケ達は僕を残して先に行ってしまった。

「あ、待ってよ」

僕はちょっと走って追いつく。

二人はもう座って購買で買ったパンの袋を開けていた。

「はよシンジも座らんかい」

「あ、そだね、ゴメン」

「別に謝ることじゃないだろ」

ケンスケはなんだか呆れ顔だった。

「で、話ってなんなのさ」

僕は弁当のフタを開けながら聞いた。

そう、さっきからずっと気になってたんだ。

「単刀直入に言うとだな・・・」

ケンスケの眼鏡が光る。

今度は絶対見間違いじゃない。

「お前、綾波と何かあったろ?」

(!!)

「な、なんで・・・?」

「なんでって、センセ。決まっとるやないか」

「そうそう、お前の行動はわかりやす過ぎだったぜ」

トウジとケンスケがにやりと笑う。

「う・・・」

僕は思わずたじろぐ。

「それに今朝綾波と話してたって聞いたぜ?

お前とあの綾波がだぞ?何かあったって考えないほうが変だと思うな」

「そやそや、いい加減白状せえや、センセ」

トウジはニヤニヤしながらパンを食べている。

「べ、別に朝のは、ただ挨拶しただけで・・・」

「あの綾波と挨拶ねぇ〜、ふんふん」

「な、何が言いたいんだよ」

僕の問いには答えずにケンスケはトウジをあおぐ。

「トウジ、この三ヶ月で綾波から挨拶の返事もらえた奴っていたか?」

「せやな、ワイは一度も見たことあらへん」

「・・・と、言うわけだ。シンジ」

「うう・・・」

僕は情けない声で呻いた。

「まあ、飯食いながらでいいからじっくり話せって」

ケンスケの眼鏡がまたキラリと光る。

(・・・なんでこいつの眼鏡はこんなに都合よく光るんだよ)

眼鏡が光るとケンスケの威圧感は一気に跳ね上がる。

「・・・はぁ」

僕は観念して話すことにした。

「・・・昨日、先生に頼まれて綾波の家に行ったんだ」

「「な、何〜〜〜!?」」

二人の声が見事にユニゾンする。
 

 


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