第一話 「ひとつの、封筒」 |
初めて会ったときは別に何も思わなかった。 クラスの隅で静かに本を読んでいた彼女。 蒼銀の髪と深紅の瞳を持つ少女。 近寄りがたい空気を纏う少女。
綾波レイ
とても綺麗な人だったけど 誰も話しかける者はいなかった。 もちろん僕も彼女のことは遠巻きにしていた そう、あの日までは・・・
雨の強い日だった。 一時間目が始まっても彼女は来ていなかった。 まぁ、隣の席だったから気付いただけだったけど。 その日の最後の授業は社会だった。 初老の教師がかもし出す何ともいえない眠気で僕はいつの間にか眠ってしまったんだ。 だんだんと授業の声が薄らいでゆき、深い眠りへと落ちていった。
・・・暗い 「・・っく、・・っ・・」 どこだろう 泣き声がする ただの泣き声じゃない 諦めと悲しみに満ち満ちた声 自分の存在を否定するような声 何がそんなに悲しいの? 僕は思わず駆け出した 声はだんだん近くなっている 僕は必死になっていた
何故そんなに必死だったのかは今なら解る 昔の自分の声と同じだったんだ 全て諦めて 生きている実感なんてなくて でも一人はやっぱり悲しくて だけど解ってくれる人なんていなかった だから僕は自分を埋めた 深い深い意識の中に 自分という存在を埋没させた
そう、あの時の僕と一緒だったんだ だから必死になった 自分と同じ道を歩んでほしくなかったから
・・・違う 自分と同じ存在を見つけたかっただけだ
気がつくと目の前に一人の少女がうずくまってた 泣き声は彼女のものだろう 「どうしたの?何で泣いているの?」 僕は彼女に顔を近づける 「・・・」 彼女は振り向いたけど何も言わなかった 僕は思わず驚愕した いや、予期していたことだったのかもしれない その少女は蒼銀の髪を揺らしてただ泣き続けた
目が覚めたら教室だった。 夢、だったのか。 授業は終わったらしくみんな帰りの準備をしている。 この後すぐに担任の先生が来るはずだ。 僕も急いで鞄に教科書を詰め込む。 教室のドアを開けて先生が来た。 白い小さな封筒を持っている。 何だろうと疑問に思った瞬間に先生と目が合った。 「碇くん、ちょっと頼みごとがあるんだけど、いいかな?」 先生のところまで行くとさっきの白い封筒を渡された。 「綾波さんのことなんだけど、これを今日届けてもらえないかな? ほら、碇くん家近いじゃない。お願い」 「まあ、構いませんよ」 「ホント?助かるわ、ありがとぉ」 新米が抜けきれてない感じのこの女性はそう言うとHRを始めた。 彼女の家は知ってたけど実は一度も訪れたことがない。 正直言って僕は焦っていた。 話したこともない女の子の家に行くなんて・・・ でもなぜか断る気にもなれなかった。 (さっきの夢のせいかな。でも、ドキドキするなぁ) 醒めててもやっぱり意識しないわけがない。 外を見るといつの間にか雨足が強くなっていた。
下駄箱で靴を履き替え傘をさす。 校門をでてからしばらくすると雨はかなり強くなってきた。 雨は嫌いじゃないけど、強すぎるのはやっぱり好きじゃない。 お陰で彼女の家に着くまでに制服がかなり濡れてしまった。 マンションの三階の一番奥にある表札。 『302綾波』 僕は少し躊躇いながらもインターホンを押す。 返事がない。 もう一度押してみる。 するとガチャガチャと鍵をあける音がしたかと思うと目の前に蒼銀のかたまりが現れた。 「・・・何?」 彼女は顔だけ出してそう言った。 「え、あ、あの、先生に頼まれて持ってきたんだけど」 「?・・・何を?」 「あ、えと、ちょっと待ってね。今だすから」 そう言って鞄の中から出した白い封筒を渡す。 受け取った彼女は興味なさそうな顔をして言った。 「そう、ありがと」 「じゃ、渡したから。お大事にね」 用事が済んだ僕は挨拶をして帰るつもりだった。 「・・・待って」 「えっ?」 予想外の言葉に僕は思わず驚いた。 「服・・・濡れてるわ」 「あ、ああ。これね。さっき雨が強かったから。別にたいしたことじゃないよ」 「・・・でも、風邪引くわ。あがってって」 彼女と話すのは初めてだったからまさかあがっていけと言われるとは思いもよらなかった。 「あ、え、でも、い、いいよ。迷惑だし」 (う、かなり焦ってるな、僕) 声がちょっと上ずってる。 女の子の家に入ったことなんてなかったし、当たり前か。 「いい。・・・迷惑じゃ、ないわ」 そう言うと彼女は先に入っていってしまった。 こうなれば最早どうしようもない。入るしかないだろうな・・。 「お、お邪魔します」 僕は靴を脱ぐとおそるおそる彼女の後ろについて行った。 いきなりの出来事にすっかり困惑していた僕に彼女が近づいてくる。 「・・・上着、脱いで。乾かすから」 「え!?べ、別に大丈夫だよ、そこまでしなくても」 「・・いいから」 そう言うと僕の上着を脱がし、乾燥機のある洗面所の中に消えていった。 落ち着かない僕はとりあえず近くにあった椅子に座った。 しばらくすると彼女は戻ってきて、隣の椅子に腰掛けると僕に尋ねた。 「・・・なぜ?」 「へ?な、何が?」 「なぜ、これを届けたの?」 彼女の手には先ほどの白い封筒があった。 もう、読んだのだろうか。封は破られている。 困惑する僕を、彼女の紅い目はじっと捕らえている。 「なぜって、先生が届けてくれって言ったから・・・」 「・・・そう、そうよね」 彼女はどこか落胆したようだった。 「あ、えと、聞いてもいいかな?もしいやだったら答えなくていいから」 「・・・何?」 「その封筒はなんだったの?」 人のことに興味を持ったのが自分でも信じられなかった。 「・・・これは、私には必要ない」 「え?」 「碇君」 彼女が初めて僕の名を呼んだ。 「な、何?」 「碇君は疑問に思わなかった?・・・この部屋を見て」 言われて僕は部屋を見回した。 キッチンがあって洗面所、ユニットバスへとつづく。 他には奥に襖が開けられた部屋が一つだけ。 ・・・どう見ても一人で生活するスペースしかない。 「あ、あの、一人暮らしなの?」 僕は思わず尋ねた。 「・・・そう、私は一人」 「あ、あの、綾波のお父さんとかお母さんとかは?」 「両親は死んだわ。ずっと前に。」 「そ、そっか・・・」 僕は思わずうなだれた。 聞いちゃいけないことだったな。 いまさら後悔しても遅いけど。 「・・・この手紙は、父の弟からだった。住所がわからないから学校に出したのね」 「そっか、なんて書いてあったの?」 僕が知る必要はないことだ。 でも、気になった。 何故だろう?普段なら人のことなんてどうでもいいのに・・・。 「・・・」 「あ!べ、別に嫌なら話さなくていいんだ!ごめん!!僕が聞くようなことじゃなかった」 「・・違うわ」 そう言うと彼女の紅い目は下に落ちた。 「・・・叔父が言うには、自分のところに来いって」 「そうなんだ、じゃ、じゃあ綾波は転校するの?」 「・・・言ったでしょ。私には必要ない」 俯いたまま彼女は小さな声で言った。 「・・・私は、今の生活をやめるつもりはないわ」 「で、でも、一人じゃ大変だろ?それに・・・綾波は女の子なんだし」 今日の僕はどうかしている。 こんなこと僕が言ったなんて自分でも信じられない。 「な、何をいうのよ」 そう言うと頬を少し赤らめてますます俯いてしまった。
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